2008年10月20日

ドビュッシー 月の光 トウキョウソナタ

なんでいきなりドビュッシーなんだよ・・・

本日、恵比寿ガーデンシネマで黒沢清監督の『トウキョウソナタ』を観てきました。
この作品、カンヌで賞を獲るなど、そこそこの話題になっていました。ガーデンシネマというのは小さな映画館なので、話題作はすぐに満席になってしまいます。そこで、土曜日は避けて、あえて日曜のラストを狙ったのですが、見込みどおりのガラガラでした。ちなみに夕方の部は満席だったそうです。

日曜の夜に映画を観るというのもやや酔狂・・・
かつ濃密な作品だったのでヘトヘトです。
明日の仕事大丈夫かよ(笑

そして・・・
その印象的なラストシーンがドビュッシーだったわけです。
男の子がピアノで『月の光』を弾くシーンは唐突にして強烈で、不覚にも涙してしまいました。

この作品のメディア紹介は「家族の崩壊と再生」というものでしたが・・・いかにも凡庸で陳腐、「再生」をテーマにした映画でろくなものを観た記憶がありません(見た映画の数が足りないだけかもしれません)。

でも、そこは、黒沢清という監督を信じて、彼ならば決して、陳腐な「再生」を撮ったりしないだろうと、劇場へ足を運びました。
元々黒沢清という監督の作品には唸らされることが多くあったわけです。極めつけは『アカルイミライ』です。

監督自身がインタビューで語っていますし、マニアの方々も指摘されてるので間違いないと思いますが、この作品、タイトルもテーマも小津安二郎を意識してます。
有り体に言ってしまえば、家族という普遍的なテーマを、現代の「東京」で語るわけです。

「家族」はいかにも現代的な問題の連鎖によって亀裂を生じ、亀裂は次第に崩壊の様相を呈していきます。
しかし、この「東京」は、現代のリアルな東京というよりも、むしろ、どこでもない国の、どこにでもありそうな街としての「トウキョウ」です。つまり、「トウキョウ」があり得ない「TOKYO」であるほどに、そこに生きる家族の問題は、現代的でリアルなものとしてたち現れます。
実際、この映画の原案は、外国人の手によるものなのですね。ですから東京が微妙にヘンです。そして日本人かつ東京人である黒沢清は、それを、自然にアレンジするどころか、逆に「微妙なヘン」を煽るような演出をしています。
穿ってとれば、いかにもカンヌで賞を獲れそうな=国際的な共感を得ることができそうな、現代の=現実の問題に揺れる家族が、いつしか、小津安二郎の描いた「家族」と同様の普遍的な共感を呼び起こす、という仕組みになっている・・・のだと思います。

この映画的な虚構としての「トウキョウ」を、優れた「つくりもの」として評価するか、あるいは、嘘っぽいとして受け入れないかによって、作品の評価は二分するでしょう。
さらには、小泉今日子演ずる母親を、醒めたリアルとして受け入れるか、あるいはミスキャストと感じるかによって作品に入れるかどうかが分かれるのかもしれません。

そして、問題の「再生」です。
劇中、半ばを過ぎたあたりで、「再生」がどのように描かれるのか心配になっていました。トウキョウに生きる家族の濃密な描写に眩暈を覚えつつ、ラストで描かれるであろう「再生」に乗ることができなければ、全てが台無しになっちゃうよな・・・てな具合に、先どりして不安だったわけです。

そして、その「再生」は、というよりその「兆し」は、なんと音楽で描かれたのでした。
年齢的に父親(香川照之)に移入して、かなり息苦しい思いを感じていた私にとって、その再生はあまりにも意外で唐突です。

次男(井之脇海)がピアノで弾く『月の光』に、先にも書いたように、私は、不覚にも涙してしまいました。笑えるシーンはいくつもありましたが、涙するような映画じゃないとは思うのですけど。
posted by BustaCat at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。