2009年05月04日

LOTUSFLOWER その2 恩寵の扉

読み返してみると、悪文の見本のような前の記事の続きです。

最初に、前の記事で悲しい誤記(笑)に気がついて訂正しておきました。
「Around The World In A Day」と記すつもりのところを、何故か「Rainbow Bridge」と書いてしまいました。くだらない記事とはいえ、一番肝心の一節で誤記してしまったのがなんとも口惜しく、その部分を再掲します。

「Around The World In A Day」や「Sign’O’The Times」など、プリンスのキャリアの中でもコアになってきたサウンドを、その参照先をあえて明示するような手振りで丁寧に再構成したアルバム。

ここで、「コアになってきたサウンド」などと、勿体をつけた言い回しをしているのは、早い話がサイケデリックのことです。
これまでの自分は、例えば 「Around The World ...」 をサイケデリックの参照云々といったネタ的ラベル付けで語ってしまうことがどうにも口惜しく、あくまで作品として評価したい、という素朴なファンの気持ちを持っていました。

でも、ぶっちゃけた話、「Around The World In A Day」 も 「Sign’O’The Times」 も、サイケデリック以外のなにものでもないのです。でも、しかし・・・殊更にプリンスという人は、タグ付け的なベタ解釈を断固として拒もうとするかのような、強い意志を長年にわたって固持してきたのは間違いないし、その作品は解釈を拒む過剰をいつも維持してきました。それを思うなら、「Around The World…」 をサイケデリックと呼ぶのはやはり辛いのです。
スタイル(ネタ)としてのサイケデリックへの参照は、特に珍しいものでもなく、というより、むしろ凡庸の類のネタとなってしまってから久しいです。無論若い人たちにとってそれが新鮮なのであれば、年寄りが騒ぐほどのことでもありません。
「Sign’O’The Time」がリリースされた時点ですら、一部から「サイケデリック・リバイバルはもう古いんじゃない?」的な批判があったほどですから、当時の段階で既に十分にネタと化していたことがわかります。思えば20年も前の話です。

そして、今回のアルバム「LOTUSFLOWER」は、あきらかに20年越しのサイケデリックの再来です。
何故、今更のようにサイケデリックなのか?という疑問が必然わいてきます。

正答はいうまでもなく 「わかりません」 以外にありません。
正答を十二分に踏まえた上で、何故、今、プリンスが、サイケデリックなのか、を考えてみました。

社会学者の宮台真司氏がロバート フリップに行ったというインタビューの中に「恩寵の扉」という言葉が登場します。

[引用 ttp://www.miyadai.com/index.php?itemid=147]
プロのミュージシャンならば誰でも年に一度は素晴らしいライブを体験できるものだ。ところが「恩寵の扉」が開いていた頃、年数十回のライブ全てで、奇跡が起こった。演奏するたびにありえないことが起こり、日常世界の破れ目から「非日常」が飛び込んできた。
ところが70年代に入ると、なぜか「恩寵の扉」が閉じてしまった。閉じた扉が再び開くのを待ち続けて三十年が経ち、そして今も待っている。すなわち扉が開いたときに備えて、恩寵に最大限に敏感でありうべく、厳しいディシプリン(訓練)に励んでいるのだ


ロバート フリップが言うところの、恩寵の扉が開いた時代 ― が特別な時代であったことに、誰しも異論はないと思います。それは音楽だけに限った話ではなく、しかも、世界レベルでの共振が起こった時代でした。

大括りしてしまえば「近代の成熟」なんでしょうが、そうした抽象論以上に説得力のある解釈を、少なくなくとも私は見たことがありません。結局のところ、的確な説明が誰にもできないような共振が現実として世界を覆ってしまった、というところが奇跡の奇跡たる所以です。
そして、そのような奇跡=偶然が、そう簡単に再現するはずもなく、つまり、恩寵の扉が再び開くことはない、ということを薄々承知しているために=それだからこそ、扉が開くのを待ってしまう世代がいる、ということです。

ロバート フリップの発言は、謂わば生き残ってしまったものの不幸であり、それでいうなら、ジミ ヘンドリックスの幸運は、さっさと天国へいってしまったことなのかもしれません。

ことさらに、プリンスの世代=私たちの世代は、恩寵の扉が開いていた間の奇跡よりも、むしろ、扉が閉じてしまった後に残された閉塞感を、どこかで古傷のように背負っていると言えます。あるいは、この世代は、奇跡よりもむしろ、奇跡の後の失速の方を生々しく記憶しています。
正直に書いてしまうと、私は「LOTUSFLOWER」に懐かしい痛みを感じてしまい、それは実に面映いのです。

そもそも、プリンスという稀有な天才と、自分という悲しくも凡庸な人間を、たまたま同世代であるというだけで一括りにしてしまうこと自体が、結構「恥ずかしい」部類に属することに違いないのですし、それ以前に世代論の多くがそもそも「恥ずかしい」話です。しかし、それを認めたうえでも、あの時代の固有性だけは、なおも否定できないように思うのです。

プリンスの世代(=私の世代)というのは、だいたい1960年前後に生まれた世代のことを指しています。この世代は70年代が十代に相当します。つまりは、もっとも多感であったはずの十代において、ある種の強烈な失速を体験したということです。

つまりは、祭りの後で遅れてきた世代であり、噴きあがろうとした時点で梯子をはずれされた世代です。要するに、気がついた時には、ウッドストックはもう終わっており、ジミ ヘンドリックスは、既に伝説になっていたのです。

少なくとも70年台の前半においては、私(達)は奇跡がまだ「進行中」であるのだとナイーブに信じて疑いませんでした。実際、70年代前半の音楽シーンはロックを中心に傑作が続々とリリースされ、思えば実に充実した時代でした。しかし、実際には「扉」は既に閉じた後であり、マーケットとメディアがその余波を世界へ伝えていただけなんです。
おそらく最も充実した傑作が集中したのは70年代の半ばでしょう。それは奇跡の余波の最終的な到達点であり、実りの収穫の時期であり、同時に奇跡の時代の大いなる終焉でもありました。

■a. 例えば、ジェームス ブラウンの絶頂と衰退は恩寵の扉とリアルタイムに一致しています。贅肉をストイックに削ぎ落としたJBスタイルは、その贅肉の少なさゆえに最も早く失速しました。早すぎる失速はJBにとっては不名誉でもなんでもなく、むしろ「最も早かった」という意味で歴史に留められるべきです。

■b. あるいは、スライ ストーンの絶頂と衰退は、一見、全く個人的な事情のようにも見えますが、時代の絶頂・衰退と見事に一致しています。「ポップ/ラジカル」―「ロック/ソウル」を共存させたかのように見えて、実は全く共存させないままに突っ走ったスライのスタイルは、JBとは対照的にひたすら「過剰」でした。

■c. マイルス デイビス と ジミ ヘンドリックス の接触に象徴される、ジャズとロックの幸福な蜜月は、70年代以降の音楽の新しい息吹だと感じられたのも束の間のこと、「ジャズ・ロック」〜「クロスオーバー」〜「フュージョン」と呼称が変わるのに連れて、退屈なものになっていく様もまた急速なものでした。

■d. ジミ ヘンドリックスについては、今更書くことは少ないのですが、恩寵の時代の中心にあってシンボリックであるという事実のみならず、スタジオにおいて3セットの極上のサイケデリックアルバムを残したということはあらためて特筆しておきます。そしてご存知のように、後続の全てのギタリストに爆発的な影響を与え、結局恩寵の扉が開いていた期間は、間違いなくギタリストの時代であったのです。
しかし、ご存知のように、ジミは、未だ恩寵の扉が開いている間に、事故であっさりと他界してしまいます。

■e. マイルスのFUNK−ROCKスタイルは、JAZZファンから激しい抵抗を受けましたが、同時に大きな余波をばら撒きます。マイルスの「初代ロック」ギタリストであるジョン・マクラフリンが、ウッドストックの『ラスト3』の一人であるサンタナとコラボしてアルバム「Love Devotion Surrender」をリリースしたのが72年。
John McLaughlinの影響を受けたその後のサンタナが一番充実していたのが、「Caravanserai」72年から、ライブインジャパンである「Lotus」の74年まで。
この時代のギター少年たちは、退屈とは無縁の日々を送ることができたのですが、それもまた束の間で、永すぎる退屈の日々がすぐにやってきます。

■f. あるいは、スティービー ワンダーの3部作以降の衰退(ないし沈黙)は、多くの議論を呼びましたが、今にして思えば、スティービーの天才とは、まさに扉の元で恩寵のもっとも幸運な受け皿であったことがよくわかります。自他ともに認める最高傑作「Key Of Life」は、本人の言葉を借りるなら、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandをソウルミュージックとして再現したもの」でした。
何故「Sgt. Pepper's…」がターゲットになったかといえば、それがサイケデリックの金字塔とでもいうべきアルバムだったからです。
「Sgt. Pepper's…」のラジカルとはいったいなんだったのか、を今更のように考えてみると、それは、実に【何でもなかった】のです。むしろ、70年代に入ってからのジョン レノンの極めて個人的な闘いのほうがはるかにラジカルでした。
単なる無内容、何でもなかったものに、世界が共振してしまったという事実。その事実こそ既に奇跡です。共振の大きさを思えば思うほどに、その「無内容」ぶりは際立ちます。しかし、それは無内容であったからこそ、共振の震源として存在することができたのかもしれません。あるいは、無内容であればこそ、人を際限なく解釈の誘惑に誘うのかもしれません。

無内容を、ベタに「無内容」と読んでしまう凡庸ぶりは、書くほどに空しくなるものがあります。
「無内容でなければ私は音楽など愛さない」と居直るのもいいかもしれませんが、それはそれで才気を必要とする技で、私にはその持ち合わせがありません。

が・・・
今、もっぱら経済の問題で世界の共振が実感されている時、私たちは、共振があの時代にはじまったことを、まざまざと思い出すのです。恩寵の扉は閉じてから久しく、それは二度と開くことがないとしても、世界は未だに共振し続けているということを知らされます。

もし仮に、私が、プリンスのような才気溢れるベテランアーティストであって、70年代に十代を過ごした元ギター少年であって、かつ、アフリカ系アメリカ人であって新大統領の登場に望みを託すのであれば、迷うことなく「LOTUSFLOWER」のようなアルバムをつくると思います。

30年のキャリアの中で、プリンスというアーティストが、ここまで解釈を強要するかのような作品をリリースするのは、間違いなくはじめてです。
「LOTUSFLOWER」 は露骨なまでにサイケデリックですが、それは、サイケデリックをネタにした傑作であるところの「Around The World In A Day」 や 「Sign’O’The Times」 とは明らかに異質です。

プリンスがデビューしたのは1978年ですが、これまでの話から、その時期が、劇的に不幸な時期であったことを少しは理解していただけると思います。祭りは完全に終わっていたし、扉はもう閉じてしまいました。
プリンスのデビューアルバム「For You」は、本当に痛いアルバムです。才気溢れる新人の登場であったことは疑いありませんが、新人であることを差し引いても、あれは完全な失敗でした。レコード会社からの要求に、あまりに愚直に呼応してしまったがために・・・。しかしそれ以後のプリンスは、ほとんど奇抜ともいえる方法論で、アーティストとしてのアイデンティティを確立していきました。
「Purple Rain」の大ヒットで、プリンスにはようやくゆとりが生まれます。そして、ここからが彼の真骨頂が発揮されるはわけですが、それを乱暴にまとめてしまえば、プリンス独自の「ニューサイケデリック」の誕生でした。これはサイケデリック・リバイバルなどという代物ではなく、独自のニューサイケデリックのパワフルな量産であり、この時代の作品は、ほとんど名盤として歴史に名を刻んでいることは、知っている人が多いでしょう。

それから20年経た「LOTUSFLOWER」は、ニューサイケデリックをネタにするのでは、サイケデリックそのものをベタに作品としてきました。
オールドスクールをもっぱらリスペクトするかたちで参照しながらも、プリンス作品としての完成度は完全に維持されています。ギターがやたらに目立つという以外には、これはプリンススタイル、プリンスマナーを厳格に維持したプリンスならではの傑作です。
思えば、今日にあって、サイケデリックをベタに作品化できるアーティストは、プリンス以外に考えられない、ということに気づかされます。


「LOTUSFLOWER」の邦題は、個人的に「恩寵の扉」と決定しました。

「続く」
posted by BustaCat at 02:38| Comment(2) | TrackBack(0) | プリンス Prince | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
悪魔の扉・・・
ロバート・フリップの言葉はとても興味深いですね。
80年代に10代を過ごした者としては、60〜70年代の音楽は聴き始めの頃は恐怖でした。
ベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナ−で観たドアーズのライブ映像などは特に恐怖を感じた記憶があります。(賛否両論ですが、1991年のオリバー・ストーンの『Doors』を観て以来、一番好きな60年代のロックバンドになりました。)

"Around The World In A Day"がビートルズのSgt.Pepperと比較されていたことは何かで読んだ覚えがあります。
サイケデリックと呼ばれる音が何なのか、当時は全く分からなかった(今でもほとんど分からない)のですが、1989年にストーン・ローゼスというバンドがデビューしてロッキング・オン誌などで頻繁にその言葉が取り上げられるようになって興味を持った記憶があります。

学生時代に高円寺の某コンビニで深夜バイトをしていたのですが、その時に一緒に働いていたプリンスと同い年の方が、異様に音楽に詳しくて、色々と話を聞いていると裸のラリーズのマネージャーをやった経験があるとかで、一度そのライブに連れて行ってもらったことがあります。
大音量のギターサウンドがまるで耳から脳を狂わせるような重圧をかけてきて、思わず体をくねらせてしまうような異様な空間でしたが、これもサイケデリックミュージックなのかなと。

話は逸れましたが、"Lotusflow3r"はまさに"Rock Hard In A Funky Place"というアルバムだと思います。(ここに"Love Like Jazz"や"Feel Good, Feel Better, Feel Wonderful"を入れてきたのはプリンスらしいバランス感覚だと思いますし、3枚組にしたのも同じ感覚故にかなと思います。)

ちなみに蛇足ですが、
「Sign’O’The Time」 → 「Sign’O’The Times」
プリンスのデビューアルバム「PRINCE」→「For You」です。
Posted by PRINCE_CONTROL at 2009年05月05日 12:22
PRINCE_CONTROLさん。コメントありがとうございます。

ジムモリソンのキャラクターは、確かにサイケデリックの時代を語るのにふさわしいですね。キャラのカリスマ性や、スキャンダラスな側面ばかりを強調されたという点もジミによく似ています。
映画の方は途中までしか観ていないのですが、山気の強いオリバー・ストーンにとりあげられたというのは、ある意味必然だったかもしれません。

裸のラリーズは、以前教えてもらったときにYouTubeで見ましたが、さすがにYouTubeではよくわかりませんでした。
でも、私が中学生くらいでギターを弾き始めた頃、この手の「怖いお兄さん」のバンドがたくさんいて、中でも福生を中心に活動しているというバンドの人たちから、ジミヘンの話をいろいろと聞かせてもらったのをよく覚えています。
怖さ半分、憧れ半分でした(笑
ラリーズと同世代・同地域で活動していた人たちですから、案外一緒にライブとかやっていたかもしれません。

>「Sign’O’The Time」 → 「Sign’O’The Times」 プリンスのデビューアルバム「PRINCE」→「For You」です。

ご指摘ありがとうございます。早速直しておきました。「For You」と「PRINCE」は、しばしば混同して、友人との話が混乱することがよくあります。実はこのBLOGでも1度間違えてた前科があります。
「Sign’O’The Time」は日本人らしい恥ずかしい間違いとしても、この記事には他にも、固有名の間違いがたくさんあって、疲れているのか、歳なのか、おそらく後者なのでしょうが、一人で落ち込んでいます。

Posted by BustaCat at 2009年05月05日 17:39
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