2009年05月05日

LOTUSFLOWER その4を改め 忌野清志郎氏を悼む

中学3年生の時の春、野外ステージというものに始めて立ちました。
その時の興奮は一生忘れません。

オープニングの曲は、BluesbreakersのAll Your Loveでした(曲はOtis Rush)。
中学生にしてみれば、目一杯、精一杯の背伸びです。

ウッドストック気取りの野外コンサートなんですが、その時既にウッドストックは「伝説」でした。おそらく、日本中に小さなウッドストックがあったのだと思います。

私たちのバンドは、前座のそのまた前座のそのオマケくらいの存在でしたが、そのときトリをつとめたのが、福生からやってきたというバンドでした。1曲20分前後、前編アドリブ〜轟音〜ノイズみたいな音楽をやってました。
コンサート主催者のアジト(笑)で打ち上げが行われて、中学生バンドも恐る恐るついて行きました。玄関から部屋に入るだけで緊張したのを覚えてます。部屋の中は壁も家具も全て黒く塗りつぶされていて紫の煙で曇っていました。部屋の中を満たしていた音楽は基本的にジャズです(←ロックではありません!)。
中学生はそこでひとつのお約束を知りました。ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンは神として敬うというマナーです。

中学生は飲めない酒を無理して飲みつつ、朝までその部屋にいました。途中で家に電話しましたが(笑

その後、中学生は多少は成長して、かつ少しはギターがうまくなって、わけのわからないものをやたらに神懸りのように奉って、意味もなく同調テンションをあげまくる空気に強く反感を感じはじめるのですが、それは嫌悪と憧憬がほぼ半分の微妙な感情でした。

"LOtUSFLOWER"について書きあぐねていたところへ忌野清志郎さんの訃報が飛び込んできました。

私が All Your Love を弾いてる時代の清志郎さんはフォークの人でした。その後ロックに転向した、という話ではありません。当時は日本のロックが売れるような状況は「全く」なく、ロックで飯が食えるわけもないような時代だったという話です。。
メディアは「日本のロック」の人、忌野 清志郎などと、気安く書いてくれますが、「日本のロック」が成立するまでに、どれだけの時間がかかり、そして難産だったか・・・。

ご冥福をお祈りします。

posted by BustaCat at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/118687550
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。