2005年04月07日

スティービー・ワンダーの若き日々

 18歳のとき、天才少年スティービー・ワンダー Stevie Wonder は考えた。「自分の才能は、あきらかにモータウン(レコード会社)に搾取されている」と。12歳でデビューしたスティーヴィー・ワンダーは、モータウン・レコードから「給料」を貰うだけで、作った曲の著作権は全てモータウンレコードのものになる、という契約を結んでいた。
 アメリカでは、法律的に21歳で「成人」と認められ、それまでに結んだ契約=未成年時に結んだ契約は全て無効となることを天才少年は知っていた。
 19歳になった頃から、天才少年はほとんど新曲を書かなくなり、周囲の人間には「スランプだ」などと言ってごまかしていたようだ。 しかし、盲目の天才少年は密かに大量の曲をつくり、(彼は譜面が書けないので)それらの曲を全て頭の中にしまっていたのだそうだ。
 100に近い数の曲を全て頭の中にしまいこんでおくということ自体、天才の天才たる所以なのでが、彼は音楽の才能に恵まれているだけではなく、実は「したたか」だったと想像できる。神は、彼から「光」を奪ったが、その代わりに音楽の「天才」としたたかな「知恵」を与えたらしい。

 21歳の誕生日を迎えたその日、若き天才は、弁護士を通してモータウン・レコードへ通告を出した。「それまでの契約、レコーティング契約、著作権契約、マネジメント契約を全て破棄する」

 その後、彼は、彼の「天才」に十分に見合う、全ての権利を手中にすることになる。
 彼のつくった全ての曲の著作権は当然彼自身のものであり、そして、自分が望むときに、望む方法で、望む通りのレコーディングをする。モータウンレコードはこのような前代未聞の好条件でこの天才と再契約を結んだ、というか、そうせざるを得なかったと言える。モータウンにしてみれば、スティービーが他のレーベルと契約してしまうよりは、ずっとましな選択だ、とおそらく考えたのだろう。

 その後の活躍はご存知の通り。
 天才は、まるで「爆発」するかのようにその比類なき才能を発揮し、世界中にその名を知られる存在となり、そして、いつしか「音楽神」とまで呼ばれるようになった。
 若き日のスティービーは、したたかなだけではなく、実はもっと遥かにスケールの大きい「野望」を持っていた。

(続く)
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