2005年04月08日

スティービー・ワンダーの若き日々 2話

 60年代のモータウン・レコードを「モータウンの黄金時代」と呼ぶ人が多い。
 60年代のモータウンは、良質なダンス・ミュージック、パーティー・ミュージックを量産する会社だった。実際、どれをとっても「はずれ」のない娯楽音楽の宝庫となっている。

 しかし、70年代を迎えて、モータウンは大きく変わろうとしていた。というより、時代の急激な変化についていかざるを得なかった。

 マービン・ゲイがメッセージソング What's Goin’ On の権利を巡って、モータウン・レコードと争うのを、スティービーは横で「見て」いた。スライ・ストーンが、数10万人の群集を手のひらに載せて扇動するのを、スティービーは後ろから「見て」いた。いつしかブラック・ミュージックは、メッセージ性を帯びるようになり、それはNEW SOULと呼ばれるようになった。

 当時のインタビューでスティービーは次のように語っている

「僕は世界のたくさんの人たちに、僕の音楽を聴いてほしい。ただ、それだけなんだ」

 私は、このスティービーのナイーブな発言の、「ナイーブさ」をどうしてもそのままに受けることができない。いささか穿った見方かもしれないが、「盲目のナイーブな天才」を自ら好んで演じているように思えることさえある。ナイーブというのであれば、名声と富を得た後、アルコールとドラッグに溺れたあげく実の父親に銃殺されるというスキャンダラスな最期をとげたマービン・ゲイや、フラワー・ムーブメントの失速と供に墜落し、そのまま2度と立ち上がることができなくなってしまったスライ・ストーンの方がはるかにナイーブであったのではないか。
 スティービーには、彼らとあきらかに異質な「したたかさ」がある。まるで、自らが神に選ばれし者であることを確信したかのような不敵な自信が、彼の作品の随所に現れている。少なくとも70年代の作品を聴くかぎりは…。
innervisions.jpg

 作品 インナーヴィジョンズ... それは既にして「完璧」としか言いようがない。

 そこには、センチメンタルな愛と鋭利な刃物が同居しており、息をつくことさえできないようなテンションが敷き詰められている。1曲目を聞き始めたら身動きすることさえ許されず、10曲目まで聴くしかない。刃物を目の前に突きつけられるよりも、センチメンタルな愛の背後に隠れた刃物を見てしまった方が遥かに恐ろしい。これは、そういうアルバムだ。
 普通アーティストは、一つの作品を完成させると抜け殻と化してしまい、回復するのに長い時間を要するものだ。しかし、断言してもいいが、スティービーは Innervisions を完成させた後もまだ多くの力を持て余している。

 このアルバムには、余計な装飾は一切必要ない、だから余計なサウンドは一切入っていない。ここに付け加えるものは何もないし、ここから取り去るものも何もない。このアルバムに収められた Higher Graund というヒット曲を作曲して最終ミックスまで仕上げるのに、スティービーはたったの4時間しかかけなかったそうだ。この頃のスティービーにとって、スマッシュ・ヒット曲を書くことなどインスタントコーヒーを入れるくらい簡単なことだったに違いない。
  Innervisions は、発表の翌年74年に、グラミー賞のベスト・アルバムとR&B部門のベストシングルの2冠を受けた。それでも、スティービーは、驚くことも、喜ぶこともなく、当然のことと受け止めたのではないかと思う。そう思わせるほど、このアルバムはアーティストの自信に満ちている。

 センチメンタルなラブソングは、毒を包むオブラートに過ぎない。このアルバムは、一種の宣戦布告だ。と、私は勝手に思い込んでいる。

Everybody needs a change
A chance to check out the new
But you're the only one to see
The changes you take yourself through but...

Don't you worry 'bout a thing


(続く)
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