2005年07月17日

Lovesexy と Black Album その2

前の記事の続きです。

先にBA(Black Album)とLS(Lovesexy)は、クリエーターとしての破壊行為であると述べてみた。これをもう少し丁寧に説明すると、BAはある種の自殺行為だったと思う。それは実行直前にキャンセルされることで、つまりは自殺未遂に終わる。6年後の改めてのBAのリリースはいわば、リスト・カットの傷跡を公開して笑い飛ばすような行為であったように思える。そう捉えるとBAのリリースはいかにもプリンスらしいナルシズムなのかもしれない。であればLSは、自殺未遂の後の再出発宣言であるとこじつけることもできる。
プリンス・ファンならすぐにピンとくると思うのだが、この自殺行為は、彼のマーケティング・イメージ〜商標としての“プリンス”という「名前」を殺して「記号」と化してしまうという後の行動に密接に対応している。


プリンスの音楽において80系と90系を大きく分かつキーワードをひとつ挙げてみる。

Discipline

この言葉はプリンスを語る上で便利この上ない。
いかにも衒学的だが辞書を引用しておく

1 鍛練,訓練;練習,修業,稽古(けいこ);修養
2 懲罰,懲戒;《俗》(サド・マゾ遊びの)調教;責め,折檻(せっかん)
3 試練;逆境,困難
4 規律(正しさ),秩序,統制;風紀;自制;しつけ
5 訓練法;(一連の)規則;教会規律,宗規.
6 訓練用具,苦行用むち.
7 学科,教科;学問(分野)

Etymology: Middle English, from Old French & Latin; Old French, from Latin disciplina teaching, learning, from discipulus pupil
1 : PUNISHMENT
2 obsolete : INSTRUCTION
3 : a field of study
4 : training that corrects, molds, or perfects the mental faculties or moral character
5 a : control gained by enforcing obedience or order b : orderly or prescribed conduct or pattern of behavior c : SELF-CONTROL
6 : a rule or system of rules governing conduct or activity

上はMicrosoft Bookshelfから、下はWebster Onlineからの引用だ。

見てもらうとわかると思うのだが、この言葉のニュアンスをぴったり表現する日本語の単語は見つからない。何故ならこの単語は典型的に一神教(キリスト教)的なニュアンスを表しているからだ。
プリンスの音楽行為はこのDisciplineという語の意味の揺れの内に常に属しているように思われてならない。
例えば、アルバム "Musicology" は、明示的に
7 学科,教科;学問(分野)
3 : a field of study である……かもしれない。そして暗示的にDisciplineの持つニュアンスの全てが各曲にに配置されている……のかもしれない。
そして、BAは……?
2 懲罰,懲戒;
1 : PUNISHMENT

さらに、LSのジャケットもまた PUNISHMENT であり、そしてLSの(音楽的)内容は、規律(正しさ)の新たな再宣言であるかもしれない。

こじつけが過ぎるだろうか?
確かにそうかもしれない。しかし、プリンスを語るときあらゆる意味において「教会」を切り離して考えることは、私には不自然にすら思えるのだ。
そして Discipline という語は婉曲に快楽を指示している…そして、それは肉体的な快楽と対極を成すような屈折した快楽であるに違いない。とにかくもアフロ・アメリカンにとっての教会は Discipline の場所であると同時に、音楽の快楽を知る場所なのだ。

80系でのプリンスは、過剰な制御にあけくれていた。これに一定の成果を見た彼は、次のステップへ進もうとする。それは最小限の制御による最大限の効果をあげること、と言えるかもしれない。これは Discipline の方法論の転換である。90系プリンスは Discipline の方向を変え、それを表向き(あくまで表向きである)緩めることによってある種の「開放」と呼べるものを行っている。それは一言で云って音楽の肉体性の開放であると思う。

では、80系から90系への移行を促す動機は何だったのか?
それは、自らが丹念に緻密に作り上げた「プリンス」というマーケティング・イメージが、クリエーターとしての彼にとって次第に足枷〜「しがらみ」となってきたからではないだろうか。そして、プロフェッショナル・ミュージシャン全てが逃れることのできないミュージック・ビジネスとの確執も加えておいていいだろう。

BAにおいて彼は、プリンスという商標イメージをあたかも Paint It Black 〜黒く塗りつぶそうとした。戦略が勝ち得たというべき商標を、他でもないFUNKの肉体性によって塗りつぶそうというのである。しかし、この自殺行為は直前でキャンセルされる。その代わりにリリースされたLSは、商標を維持しながらも、そこにFUNKの肉体性が付加されている。商標もFUNKの肉体性もプリンスにとっては「既得」のものであり、LSを作ることは彼にとっては造作ないことだったと想像できる。だからLSは、スムースでクールなFUNKなのであり、BAのひどく「ぎこちない」サウンドと全く対照的に、全くナチュラルでしかも官能的なのだ。

私は80'sと90'sにプリンスのステージを一度ずつ観たのだが、その感想を一言で述べると次のようになる。
80's:ついていけなかった。どうやって中に入ればいいのかわからないままに終わってしまった。
90's:完璧さに打ちのめされて言葉を失った。
そして90'sのステージに感じたナチュラルな快感は、そっくりそのままLSにパッケージされたものと重なるように感じる。
LSは、擬似スタジオ・ライブであるのかもしれない。ライブの官能性とスタジオのサウンド完成度を併せ持つ作品をごく短期間で仕上げる。しかも、そこでは恣意的な制御は最小限に抑えられている。あるいは、恣意的に制御が抑制されている。
つまり、彼は(敢えて)何も考えずに自然体のまま一気にアルバムを仕上げることで、それまでにない濃密な音楽の快楽を作り上げてしまったのだ。濃密な音楽の快楽は、最早プリンスの肉体の一部となっているのだ。

音楽は制御できるものではないし、制御するものでもない。例えばたった一人で演奏する場合ですら、クリエーターという主体の意識にとって演奏する肉体は他者であるとも言え、それは最終的に制御できるものではない。逆にこの制御の不可能性が音楽という行為の価値を永遠に維持していると捉えることができる。
最小限のバンドであるトリオの演奏を考えてみると、そこでの演奏という行為は、単純に考えると、他の二人への呼応であると同時に(プレイヤーとしての)自己に対する制御でもある。そうした視点でプリンスを見てみると、彼の表現行為には常に無限の自己参照、自己との対話が存在している。言い換えると自己への呼応と自己への制御が並存しているのだ。
文章で表現しようとすると困難があるが、ここで云わんとしていることは単純なことであるに過ぎない。
彼はストイックな過剰表現の結果、常に自己の内部の他者性として、云わば逆らい難い「父」のあるいは「祖先」の言葉であるがごとき「伝統」、つまりアフロ・アメリカン・ミュージックの血の絆を幾度となく再発見する。



まとまらないので(笑
さらに続く
posted by BustaCat at 01:44| Comment(1) | TrackBack(1) | プリンス Prince | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by みんなのプロフィール at 2005年07月17日 16:21
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Tracked: 2005-07-24 05:10
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