私の母は小学生の時に、この空襲を経験しています。疎開せずに東京にいた母は空襲の下を逃げ惑ったということです。その時の生々しい体験談を何度か聞かされました。
ところで、「東京大空襲」をWikipediaで拾ったらちょっとショックな写真を見つけました。Wikipedia記事
記事の中段に掲載されている、1945年5月25日に空襲を受ける東京市街の航空写真です。
この近辺は、母の実家の真上なのです。
この写真の真下のどこかにある防空壕で、私の母は震えていたということです。
この時の、ちょっとした風向きの違いで、私はこの世にいなかったかもしれない。
空襲だけを語る、もしくは原爆だけを語ると、話が偏ってしまう・・・それは、確かにそうです。
あるいは、アジアに住む年配の人々は、ある意味当然の報い、といったとり方をするかもしれません。
それでも、いかなる報いであれ、一般市民が戦時下の作戦攻撃の直接標的になる、という事態を正当化しうるものでないことだけは間違いありません。先の写真の中央には日赤病院があります・・・
James Brownがその伝記の中で、戦争中のことを「ぼそっと」語っています。
真珠湾のときは頭にきた、でも原爆のニュースを聞いて考えがかわった。こんな爆弾が白人の上に落とされるはずがない。
この話を例えば若い人にしたとすれば、帰ってくる反応は、おそらく
「そんなの大昔の話じゃん・・・」くらいのことになるのだと思います。
一言だけ親父臭いことを書いておくと、
世界というのは短い間に激変します。人は変化に気をとられます。しかし、社会の構造というのは、50年や60年程度では変わらないような部分を持っている、ということは覚えておいて欲しいです。
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