2005年05月14日

スティービー・ワンダーの若き日々 3話

 インナーヴィジョンズの完成直後、スティービーは大きな交通事故に遭って瀕死の重傷を負う。即死しなかったのが奇跡と言えるほどの大きな事故だったらしい。重度の脳挫傷を被ったスティービーは、約1週間に渡って意識不明のまま生死の間を彷徨った。

 思わず、運命の女神の悪戯とでもいいたくなるようなアクシデント。もし、あの時、あのままスティービーが逝ってしまっていたら、今日のミュージック・シーンは全く違うものになっていただろうし、Jimi Hendrixが、後せめて「三年」音楽活動を続けることができたなら、やはり、今日の音楽は全く違うものになっていただろう。とにかくも、スティービーは我々のところへ還ってきた。

 事故後のインタビューで彼は語っている。
「最初は神を恨んだ、しかし、その後、神に感謝するようになった。そして、自分が何を為すべきか理解した」

 スティービーの「野心」は、この時、おそらく「使命感」のようなものへと変化したように思われてならない。
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2005年04月08日

スティービー・ワンダーの若き日々 2話

 60年代のモータウン・レコードを「モータウンの黄金時代」と呼ぶ人が多い。
 60年代のモータウンは、良質なダンス・ミュージック、パーティー・ミュージックを量産する会社だった。実際、どれをとっても「はずれ」のない娯楽音楽の宝庫となっている。

 しかし、70年代を迎えて、モータウンは大きく変わろうとしていた。というより、時代の急激な変化についていかざるを得なかった。

 マービン・ゲイがメッセージソング What's Goin’ On の権利を巡って、モータウン・レコードと争うのを、スティービーは横で「見て」いた。スライ・ストーンが、数10万人の群集を手のひらに載せて扇動するのを、スティービーは後ろから「見て」いた。いつしかブラック・ミュージックは、メッセージ性を帯びるようになり、それはNEW SOULと呼ばれるようになった。

 当時のインタビューでスティービーは次のように語っている

「僕は世界のたくさんの人たちに、僕の音楽を聴いてほしい。ただ、それだけなんだ」

 私は、このスティービーのナイーブな発言の、「ナイーブさ」をどうしてもそのままに受けることができない。いささか穿った見方かもしれないが、「盲目のナイーブな天才」を自ら好んで演じているように思えることさえある。ナイーブというのであれば、名声と富を得た後、アルコールとドラッグに溺れたあげく実の父親に銃殺されるというスキャンダラスな最期をとげたマービン・ゲイや、フラワー・ムーブメントの失速と供に墜落し、そのまま2度と立ち上がることができなくなってしまったスライ・ストーンの方がはるかにナイーブであったのではないか。
 スティービーには、彼らとあきらかに異質な「したたかさ」がある。まるで、自らが神に選ばれし者であることを確信したかのような不敵な自信が、彼の作品の随所に現れている。少なくとも70年代の作品を聴くかぎりは…。
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2005年04月07日

スティービー・ワンダーの若き日々

 18歳のとき、天才少年スティービー・ワンダー Stevie Wonder は考えた。「自分の才能は、あきらかにモータウン(レコード会社)に搾取されている」と。12歳でデビューしたスティーヴィー・ワンダーは、モータウン・レコードから「給料」を貰うだけで、作った曲の著作権は全てモータウンレコードのものになる、という契約を結んでいた。
 アメリカでは、法律的に21歳で「成人」と認められ、それまでに結んだ契約=未成年時に結んだ契約は全て無効となることを天才少年は知っていた。
 19歳になった頃から、天才少年はほとんど新曲を書かなくなり、周囲の人間には「スランプだ」などと言ってごまかしていたようだ。 しかし、盲目の天才少年は密かに大量の曲をつくり、(彼は譜面が書けないので)それらの曲を全て頭の中にしまっていたのだそうだ。
 100に近い数の曲を全て頭の中にしまいこんでおくということ自体、天才の天才たる所以なのでが、彼は音楽の才能に恵まれているだけではなく、実は「したたか」だったと想像できる。神は、彼から「光」を奪ったが、その代わりに音楽の「天才」としたたかな「知恵」を与えたらしい。

 21歳の誕生日を迎えたその日、若き天才は、弁護士を通してモータウン・レコードへ通告を出した。「それまでの契約、レコーティング契約、著作権契約、マネジメント契約を全て破棄する」

 その後、彼は、彼の「天才」に十分に見合う、全ての権利を手中にすることになる。
 彼のつくった全ての曲の著作権は当然彼自身のものであり、そして、自分が望むときに、望む方法で、望む通りのレコーディングをする。モータウンレコードはこのような前代未聞の好条件でこの天才と再契約を結んだ、というか、そうせざるを得なかったと言える。モータウンにしてみれば、スティービーが他のレーベルと契約してしまうよりは、ずっとましな選択だ、とおそらく考えたのだろう。

 その後の活躍はご存知の通り。
 天才は、まるで「爆発」するかのようにその比類なき才能を発揮し、世界中にその名を知られる存在となり、そして、いつしか「音楽神」とまで呼ばれるようになった。
 若き日のスティービーは、したたかなだけではなく、実はもっと遥かにスケールの大きい「野望」を持っていた。

(続く)
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