2006年04月08日

ブラックなグルーブの奇数

 この記事は、去年の10月に書きかけたまま放置してあったものです。

 JAZZの名曲に"TAKE5"というのがあるのをご存知と思う。5拍子というのは変拍子ではあるのだが、実は、ブラックなグルーブにとってのナチュラルな拍子でもある!?……と同時にFUNKな『うねり』の源泉でもあるのでは?というお話。

とりあえず下の図をクリックして拡大してみてください。
grv_f1.jpg
こんなモノわざわざつくる私も暇人!

上のA)、B)は、四拍子と普通の16ビートのタイミングを示したもの。
C)はJAZZでよく使われる2泊3連(2符3連)とそのウラ(グレーのところがウラ)。最近PrinceがBlackSweatの後半でモロに使ってますね。
問題は C)。これは一小節を五等分した五拍子とそのウラ拍をあらわしたもの。
そして D)は、よくあるアフロ・ビートを16ビートして表したもの。さらに E)は、ラテンの基本リズム『クラーベ』をやはり16ビートとして表したもので、F) は、クラーベの最後のビートにシンコペートをかけたパターン。

 これをよ〜く見ると、見えませんか、グルーブのウネリが、幾何学的に(笑

 偶数で分割した1小節と、奇数で分割した1小節が、第1泊目でシンクした後、当然のようにウネリを生じます。要するに最小公倍数の地点でビタっとシンクして後はズレたり重なったりしながらウネルわけです。

 そこでJBセオリー! 「ドあたまだけははずすな。」このだけがミソだと思うんです、私は。

さて、早いけど今日の結論。FUNKとは

(幾何学+SEX)÷ 2 (式1……笑

である。

 音楽と数学の相似性が指摘されることは多いけれど、それは大抵、多分和声とかスケールとかについて言っているんですね。でも、グルーブというものもまた、非常に美しい幾何学模様だと、私は考え(感じ)ます。
 例えばPrinceは、この美しい幾何学模様を非常に誇張されたユニークなやり方で強調表現していると……

 ここで式1における『SEX』とは何ぞや。という話からジャックさんがコメントに書いてくれた、「エロい」ベース・ラインの話が始まります。それはまた後日。
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2005年09月05日

Innovation 〜 Passtime Paradice

何時頃のことだったのかすっかり失念してしまったのですが。
渋谷陽一さんが、彼のFM番組でスティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフに収められている Passtime Paradice を絶賛していたのを印象的に覚えています。
今にして思えば、あの2枚組みモンスター・アルバムを前にして Passtime Paradice を持ち上げることころが、いかにも彼らしいと思います。

キーワードは Innovation です。
この言葉の本来のニュアンスは、near EQ "Novelty"で、真新しさ、斬新さです。
でも批評の文脈でイノベーションというとき、革新性、進歩性というニュアンスが含まれているはずです。Progression ですね。

評価すべきは革新性。おそらく、そうした価値観でいうプリンスの最高作は、Around The World〜と Parade になるのだと思います。
最初に言っておくと、私はこれを必ずしも否定しません。
事実、 Passtime Paradice という曲には何度も涙しましたし、Around The World〜と Paradeという作品を、私は溺愛してます。

しかし、まず素朴な疑問として、音楽の価値のモノサシの中で革新性が筆頭にくるのでしょうか??

そして、これは憶測なのですが、評論家が Around The World〜と Parade を高く評価するとき、革新性を言うことで、評論家としての安直な場所に逃避している、ということはないでしょうか?
評論家が革新性を価値のモノサシにして、革新性を見つけて、それでオシマイというのは、あまりに安直です。

音の洪水の中に斬新性を発見することは、確かに音楽評論家の重要な仕事です。というより、それができなければ音楽評論家はなりたちません。つまり、それは音楽評論家の基本的な資質です。

しかし、それでおわりじゃ批評とはいえません!

一言添えておくと、文学批評、映画批評、美術批評ではとっくにかたづいている初歩的な問題を、音楽批評はかたずけることができずにいます。音楽批評は何故かナイーブ過ぎます。
理由は、音楽の特殊性なのかもしれません。それは、批評家がアーティストの宗教的信者になってしまうことのせいであるような気がします。その意味で、ロックにおいてひじょうに悪い影響を与えているのが、あのウッドストックです。

単なる皮肉ですが、全ての音楽は Innovative 〜 いつも新しいのです。

何故なら
When you hear music, after it's over, it's gone in the air.
You can never capture it again.
Eric Dolphy (1928-1964)
これが全ての音楽を考える上での原点です。

付記
私は渋谷陽一さんを批判するつもりはありません。前にも書きましたが、昔は彼に批判的でしたが、今は、尊敬しかつ感謝しています。
私が批判したいのは、巷に蔓延する渋谷陽一な批評です。あるいは渋谷陽一もどきの批評。
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2005年09月04日

世代論をヤりたい理由(ワケ)

父=中村とうよう、母=湯川れい子、兄=渋谷陽一
この人たちに受けた影響は計り知れない。
父・母への尊敬と反抗、兄への反感。
(でも今では、渋谷陽一さんを尊敬している私)
父と母の世代がジャズを愛するのは当然として、ロックを理解するということは並大抵のことではない。
私は時として、ミュージシャンからよりも音楽批評家からの影響を強く受けたのではないかと訝しむことがある。
笑い事ではなく、文学や映画や美術では当然のようにあり得ること。
文学や映画や美術では、批評抜きに感性(と呼ばれるモノ)は機能しない。
音楽ではどうですか?


父=マイルス・デイビス、息子=プリンス
父にとって最愛の息子にして後継者。
継いだものは「ちょっとした」天才と、自らの才能への「稀にみる絶大」な制御力。
父の欠点=雄弁すぎること。
息子の欠点=器用貧乏。

兄の世代=ニュー・ロックの世代=ジミ・ヘンドリックスの世代。
兄の世代=「革命」の世代。ジミだけが革命起こしてたワケじゃない。
兄の世代には「革命」の世代の盲目を指摘せざるを得ないのが私たち。
「ジミの価値が innovation だなんてふざけるな!!」
「プリンスの価値が innovation だなんてふざけるな!!」
というのが兄への反感。

兄の世代と私の世代の間には、年齢差を越えた価値観の深い溝がある。
これはある意味当然のこと。
兄の世代はジミ・ヘンドリックスを理解できない。私たちの世代は、少しだけズレたおかげで、ジミを理解することができる…ように思う。
…ということは、私はプリンスを理解することができない。できるのは共感だけ、かも知れない。
愛せるなら別に問題ないけど。

プリンスは Musicology で親子三世代にわたる感性たちを、貫通する力を証明して見せた。
これが一番肝心なんです!!
それは、彼がそういう歳に達したということ。
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2005年09月03日

Out Come The Freaks...?

とりあえず下のリンクの曲を聴いてみてください。

I Can't Turn You Loose

歌っているのは誰でしょう?
「誰って、オーティス・レディングに決まってるだろ!」
と思った人ははずれです。
まぁ、オーティス好きな人なら絶対間違えないでしょうが…

これを歌っているのは、80年代に活躍した WAS(NOT WAS)というユニットのSweet Pea Atkinson というシンガー。
sweet_pea.jpg

本家オーティスのI Can't 〜は下のリンク、お暇があれば聴き比べてみてください
I Can't Turn You Loose

この人 Sweet Pea Atkinson そっくりさんとして紹介するのはあまりに「失礼」というもので、実は実力派。歌は巧い、声は“めちゃめちゃ”にセクシー、ルックスはカッコイイ(今はダンディ)と三拍子そろっているのですが、何故かメジャーになれませんでした。(ソロ・アルバムもあったけどCD化すらされてない?)
ユニットWAS(NOT WAS)自体 は、現在でもUKでは根強い人気(再評価人気?)を持っており、UKではツアーもこなしているようです。USではどうなんでしょ?
WAS(not WAS)というのは、名前からしてワケわかりませんが、全編洒落ともマジともとれる、ひじょうに冗談キツイユニットなのですが、とにかくFUNK はツボに入ってます。

スウィート・ピーの実力を聴いてみようという方にオススメは
what's up dog
What's Up Dog?

まぁ、典型的な80年代FUNKで、当時、本当によく聴きました。

で、これからオーティスを聴いてみようという若い方へのオススメは
otis_live_euro.jpg
Live In Europe

こちらは伝説のライブ盤ですが、とにかく「熱い」です。この熱さは今時にはないのではないか、と思わせるものがあります。聴いているうちに目頭まで熱くなります。

オーティスのライブが出たついでに、もういっちょ
monterey_pop_dvd.jpg
Monterey Pop Festival

これまた伝説のMonterey Pop Festival のDVDです。
ここに収めれているのは

Jimi Hendrix、Otis Reding を筆頭に
Ravi Shankar
Janis Joplin
Mamas and Papas
Canned Heat
Jefferson Airplane
Simon and Garfunkel
Canned Heat
Eric Burdon and The Animals
The Who
と、Woodstockとかなり「かぶり」ます。3枚組みBOXセットで、ちょっといいオ値段ですが、Woodstockと並んで歴史的なイベントということで、それなりの価値はあると思います(って、私は持っていない)。

オーティスといえば Booker T. and the MGs、これは近々の話題にしようと思ってます。


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2005年09月01日

アル・クーパーに関する etc

al_n.jpg
アル・クーパーがニューアルバムを出したらしい。

アル・クーパーという人は、70年前後のロック・シーンで、プレイヤーというよりは『仕掛人』として大活躍している。何を仕掛けたのかといえば、NEW ROCK を軸とした「異種交配」とでも言えばいいのかな。
とにかく仕掛人としての彼は、時代のツボに入りまくり、オイシイところを全部持っていった感がある。

この人、実に多くの仕事をこなしているが、
al_0.jpg
スーパー・セッション Super Session

al_1.jpg
フィルモアの奇跡 Live Adventures Of Michael Bloomfield & Al Kooper といったところが有名だが。

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2005年08月02日

猫とカリンバ

ウチの猫は音楽には全く興味がないようです。
リビングで大きな音で音楽かけててもたいてい寝てるし。あげくは、私が轟音でギター弾いてても、ひるみもせず寝てるし。ときどきあくびしながら「そろそろ止めにしろ〜」みたいな顔するし。

ところが、ウチの猫たちが鋭く反応する音楽があります。

まず、Earth Wind & Fire 。
EW&Fの“カリンバ”の音に猫は鋭敏に反応します。おもしろがって何度もかけていたら慣れてしまったようですが。

karimba.jpg

猫は人間よりもはるかに耳がいいですから、“カリンバ”の独特の「鉄」の不響倍音が耳につくんでしょうか。
猫ならずとも人間が聴いても、カリンバの音というのは、独特の哀愁というのか懐かしさに近い感覚があって、妙に惹かれる音です。

もう一つ、猫が反応するのが、Prince の Emancipation です。
この理由は明白で、 尋常ではない「重低音」です。意図的なのかどうかはわかりませんが、 Emancipation の重低音は凄まじいです。
ウチはボーズのスピーカーを長年愛用しているのですが、 Emancipation を大き目の音で再生すると、ほとんど地震の前兆みたいな感じになります。この手の重低音というのは、普通の音楽ではそれほど聴けるものではないと思われ、リビングでこの手の音が鳴るとしたら、戦争映画かSF映画の爆発シーンくらい、でしょうか。

ところで、ボーズのスピーカーというのは、所謂オーディオ・マニアにはあまり評判が芳しくないようで、その理由というのが、ハイ・エンドの音が貧弱、というものです。これは当たり前のことで、スピーカー・ユニットの数は多くても基本的にワンレンジのスピーカーですから、高音が伸びないのは当然。音楽を再生するにはワイド・レンジよりももっと重要なことがある、というのがボーズの哲学ですね。
オーケストラとかピアノのソロとか聴くならいずしらず、私はボーズのハイエンドの音で十分です。何より、ボーズの「音楽らしい音」を気に入っています。
コアなオーディオ・マニアで音楽音痴という人を知ってたりするので、余計にそう思いますね。


posted by BustaCat at 22:38| Comment(3) | TrackBack(0) | 音楽の戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月09日

ジュジュの末裔とドクター・ジョン

ヴードゥーの精霊=ロアは十字路に居るのだという。
ロバート・ジョンソンで有名な『十字路で悪魔に魂を売る』は、ヴードゥーの言い伝えとキリスト経が交じり合った表現。要するに、彼の才能への畏怖とやっかみが半々に入り混じった言い回しであったに違いない。

ニューオリンズにおいて、ヴードゥーは、「グリグリ」や「フードゥー」と呼ばれることがある。おもに白人がそれをヴードゥーと呼び、黒人はフードゥーと呼ぶのだそうだ。ニューオリンズのヴードゥー信者の多くは、フランス領ハイチが独立した際にニューオリンズへ連れてこられた人々だという。ハイチがフランス領だったようにニューオリンズもまたフランス領だった。一般にフランス領だった地域は他の被領有地域よりも、アフロ・アメリカンに対する扱いが寛容で、ニューオリンズの例で言えば、コンガ広場では太鼓の演奏が許されたり、(キリスト教の)教会の裏でヴードゥーの儀式を行うことが許される例さえあったという。

ヴードゥーは主としてハイチから合衆国へ来たのだが、さらにルーツを手繰ると、それはアフリカのナイジェリア地方、ヨルバ族のジュジュへたどり着くらしい。ブラジルのマクンバやキューバのサンテリアも同様のルーツを持つのだそうだ。

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posted by BustaCat at 00:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 音楽の戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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